個体数の増加が一因
このところクマの被害が続いているが、単に時期的なものという話で片づけるわけにはいかないようだ。
東北を中心にしたクマの被害はすでに100人を超えてしまっているとのことで、2007年以降の同時期比較でも過去最多で、時期の問題や地域の問題よりも「個体数の増加」が一因とみられていることに恐ろしさを感じる。
そもそもクマには天敵がいないということは、熊を捕食したりする生物がいないわけだ。個体数そのものが増えてしまえば、熊の食料も同族内で取り合いになり結果的には人里に下りてくる(降りてこざるを得ない)状況がさらに増えることが危惧されるわけだ。
同日、長野においても人命が失われている。
こちらに方は、ちょっと難しい話でイノシシ用の罠にかかってしまった熊を逃がす際に襲われてしまった、というような話のようである。
種差別的思想と動物愛護
私は、現在進行形で動物倫理や動物の権利について勉強中である。
この動物倫理や動物の権利の主要論理の根底に、義務論があり種差別の否定が行われている。この考え方が大部分の基盤をつくってあり、「人間は他の動物とは違う」からという考えが根底にある動物観を否定している(と私は認識している)。で、私はこの考え方に現時点において、同意ができていない。
他方で、私はペットバレーを通じて動物愛護の精神を実践し、そのような精神をさらに世に強く広げていくことができるような活動をしたいと考えている。どこまで表現として正確にかけているかはいったんおいておくとして、人間は他の動物とは違うと考えることが種差別だとするならば、私は種差別主義者となるが、動物に対する虐待や無駄な殺戮には反対する立場だ。他方で、動物倫理においては肉食や動物利用は殊更虐待となる考えがベースになっているので、ここについては大いに議論に立ちたいと考える次第。
話が少しそれてしまったが、百歩譲って私が種差別者だとして、動物愛護を実践することは共存できること思うので、動物倫理の考え方そのものがずいぶんとラディカルな領域なのだと(個人的には)結論としているのが現在の私の考え方だ。
話を熊に戻したい。
- 熊による人命含めた人類への脅威が増大している
- 熊の個体増加も要因の一つで熊の被害が過去最多となっている。
この二つを理由に、人里に熊が現れてしまった場合の選択肢として駆除を行うべきかどうか、と考えると現在の私の意見としては駆除一択だと思っている。前述のとおり、私が仮に種差別主義者だとしても、私は人間の命を他の動物よりの重視しているしすべきだと思っているからだ。
今後も、熊の被害の増加に比例する形で駆除件数も増えてしまうだろうが、可能な限り駆除をする必要がない環境を目指すことに反対をする人はいないだろうと思うので、何とかそのような環境を作り上げていく道筋を作ってほしいと
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