ペットと人の共生社会は誰が目指しているのか?

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ペットと人の共生社会はペットに係る人々が欲していること

某アカデミーへの応募過程を通じて、色々と自分自身の中でも思考の整理が必要になったので備忘録を兼ねてここに記録しておきたいと思う。

整理が必要な点というのは、「ペットと人の共生社会」についてである。そもそも「ペットと人の共生社会」という文脈を、どれだけの人が深く考えることがあるだろうか。動物倫理や動物愛護の哲学的な難しい話はいったん置いておくとすると、大前提としてペットを飼っていない、あるいは飼いたくない、興味がない圧倒的大多数の非飼育者が占めるこの日本社会において「ペットと人の共生社会」というものを誰が求めているのか?という点だ。

当然ペットを愛してやまない人々や動物愛護などでも著名な人達、ペット産業に携わる人達には「ペットと人の共生社会」を考える機会があるだろうが、ペット飼育者にとってはペットと生活を共にしていることが日常的であるため、その状態を「ペットと人の共生社会」とは言わないはずだ。つまり「ペットと人の共生社会」というのは、ペット飼育者のプライベートスペースに限定されない広範囲のパブリックスペースにおいてもペットが当たり前に受け入れられている状態をさすことになる。現在でもペット可の宿泊施設や遊園地があるが、日常のあらゆる場所や交通機関においてもあのような状態になっているのをイメージするのが良いのであろう。

例えば、獣医師会などがこの言葉を使う際には「動物と人の共生社会」となり、これはペットのならず野生動物も含めたものであり、共生社会の意味合いもより広域にかつ社会的意義が含まれるものになっている。例えば、同じく獣医師会が掲げるキーワードにあるOne Healthという考え方は、人獣共通感染症の予防を目的にしている点を含めると人類にとって有害になるような領域についてプロアクティブに予防線を張るための動きであって、「ペットと人の共生社会」が言わんとしている「共生社会」とは大きく意味合いが異なるだろう。その観点から見ると獣医師会が標榜する「動物と人の共生社会」は、動物愛護団体が標榜する「動物と人の共生社会」とは定義が異なる可能性があり、さらには特定のペット飼育者群集が標榜する「ペットと人の共生社会」はやはりその定義が極めて曖昧でかつ思想的なものとなる。

思想的であることそのものに良し悪しはないが、同様に思想的なものというのは生活、交友関係、学校・学歴、育児、家族、趣味、興味、夢、キャリア、憧れ、野望、イデオロギー、信念なども含まれるわけであり、人間はこれらの思想的なものの中から物事の優劣を無意識的に判断し何かしらの決定を繰り返して人生を全うしているはずだ。そう考えると、ペットを飼っていないペット非飼育者にとっては「ペットと人の共生社会」と言われても、優劣の判断対象となってしまい取るに足らない些細なことと言われても仕方がない。

飼育者がペットは家族の一員だと考えている点は疑いようのない事実だとしても、非飼育者にとっては友人や知人、昨日今日あった名前だけしか知らない人、さらには名前も知らない単なる「人間」としての存在よりも優先順位が落ちる対象となっても不可解ではないはずだ。そうであるがゆえに、ペット非飼育者にとっては「ペットと人の共生社会」と言われても、意味がわからないだろうしそれについて考える必要性すらも感じないわけだ。

こう考えてみると、「ペットと人の共生社会」という言葉は、ペット飼育者群集の一部が推し進めよう、または推し進めたい思想ということになるのではないだろうか。

共生社会を作るビジネス

では、実際にペットと人の共生社会を推し進めることができるビジネスというものは存在しえるのだろうか?

個人的な意見としては、極めて難しいと言わざるを得ないと感じている。これは「ペットと人の共生社会の実現」が難しいと言っているのではなく、これをビジネスを通じて推し進めることが難しいのではないかという話である。

理由は極めて単純である。非飼育者側は、このようなビジネスの受益者にはなりにくいからである。受益者になりにくいだけではなく、サービスや商品の直接的な利用者や購入者にもなりにくい。逆に、飼育者達はこのようなビジネスの直接的な受益者になるケースがほとんどで、また同時にサービスの利用者や購入者でもあるわけだ。つまりこういうことだ。

  • ペットと人の共生社会の実現を目指したいのは飼育者達
  • ペットと人の共生社会の実現の結果から受益者となるのは飼育者達
  • ペットと人の共生社会の実現を目指すビジネスの利用者や受益者は飼育者達
  • ペットと人の共生社会の実現に障壁となり、反対し、不安や恐怖を感じるのは非飼育者達
  • 非飼育者世帯と飼育者世帯の比率は、80:20程度

このように考えてみるとペットと人の共生社会の実現という目的でビジネスを作り上げたとしても、それは実際には飼育者という属性の範囲に留まったビジネスとなってしまい、非飼育者が関与するような余地がほとんどないことがわかる。前述の通り、ペットと人の共生社会の実現のためには、非飼育者達の理解や協力、受容を得ることが必要不可欠なはずだ。

非飼育者達の理解や協力、受容などはなくともペットと人の共生社会強行突破をすることももちろん可能性はあるだろうがここでは一旦、その選択肢については考慮しないこととする。

先日「ペットと人の共生社会を実現するビジネスモデルやアイデアなど」というテーマで書いたものが、これらのような要点を加味して作ったものであるが、それはそれでだいぶ無理があるスキームであったというのは、自分で書いていても強く感じたというのが正直なところだ。

ここまで述べたように考えると、ペットと人の共生社会の実現は何かしらのビジネスを通じて推進するのではなく、別の形で推進できるのであれば、その方が現実的であると思うのだが、その現実的な方法というものがどのようなものなのか、現時点の私にはあまり良いアイデアは浮かばない。

重要なポイントは、ペットと人の共生社会の実現を目指す人々は、このような点をまずは明確に認識した上で戦略的に世論を形成していく必要があるということだ。少なくともそれは例えば飛行機の客室にペットを連れていくことができるべきだと声高に叫ぶことではなく、また動物虐待者に対してより厳罰を適用するべきであるとメディアに訴えていくことでもない。欧米に比べて日本は遅れているとこの話題に無関心の人々を批判することでもない。

感情論を除いた具体的な実現方法の模索や、その上で必要になるこれまでの枠組みからの変更点、そのような変更点を実施するうえで「従来の形を好む人達に譲歩してほしい点」にどのようなものがあり、「新しい形にしたい人達が受け入れる覚悟のある負担」がどのようなものになるか、それらが形となった時にどのような社会的メリットあるのかを理性的にかつ論理的に説明していくプロセスであろう。

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