倉庫解体の準備

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人がやるとNGで自分だとOK

無意識のうちにこんな感じの行動をしている場合が人間、誰でもある気がする。

例えば、私はこのペットバレーの活動を寄付やボランティアに頼らずに自分達が正しいと思う社会の在り方に向けたアクションとして、ほとんど誰にも知られることなく一年以上何かやってるわけだ。

その根源には、何をするにしても誰かが損をして、別の誰かが得をしているような構造は良くないと思っているからだ。厳密には、寄付の構造は、豊かな人が資金の援助をしたり、自分でも同じような活動をしたいがその時間もないからせめてもの資金援助を、というような「誰かが損をしている」構造そのものが存在していないことが大半だと考えることができる。

仮にそうであったとしても、やはり自分の活動原始を誰か別の人に頼り、自分でやりたいことを実現していく(その結果として、自己実現をしたり、承認欲求を満たして行く)ことが卑しい事だと思っている。いや、正確には「思っていたことをしっかりと認識した」か。

何故なら、まさに上記のような構造が動物愛護には存在し、その形が望ましくないと思っている私が自立し永続した形でのペットバレーを作ろうとしているにも関わらず、愛護とは全く関係のない建物のリフォームにおいては、誰か無償で、または格安で手伝ってくれる人、または教えてくれる人はいないのだろうか、などと結構本気で思っていたりする。理由は普通に業者に依頼するだけの予算が用意できないからだ。まさしく「人がやるとNGで自分だとOK」を地でいくようなことをしているわけだ。

誰がどんなタイミングでそのようなことをしてしまうのかに確かなルールなどはないのだろうが、少なくとも私自身についてはいえば、「自分ではどうしようもない」領域だと自分で認識している場合にそうなっているようだ。

同じルールが愛護活動をしている人々に一様に適用できるならば、それはそれとして私は本来理解を示す必要があるのだろう。人生は斯くも難しいものである。

倉庫の壊し方を観察しつつ竹を束ねる

建物の西側に佇むこの倉庫。

倉庫の底を突き破ってきた竹が伸びきって天上すらも突き破って外に出ているくらいに放置され、中には古いスノーボードや何かしらの肥料?や妙に長い柄杓のようなものとか、とにかくに何なのかよくわからないものがたくさん入った年代物だ。

最初は力業でぶち壊してやろうと考えたのだが、年代物とはいえさすがは倉庫だ。だいぶしっかりしていて私の攻撃力ではダメージが通らなそうである。

そうと分かれば、組み立ての工程を逆に進んでいくしかないのかもしれない。そうだ、再びインパクトドライバーの活躍を期待すべき時が来たようだ。このようなスクリューをインパクトドライバーで抜いていけば、難なく解体できる…にちがいない。が、サイズがよくわからないのだが、とりあえず一般的なサイズのソケットビットセットを買えば大丈夫だろう。

そうそう。先日に除草液の原液を流し込んだこの2本の竹は全くもってダメージを与えている雰囲気はないので、たぶん時期が良くかなったのだという結論に至った。次はまた来年の春当たりにチャレンジしてみようと思う。

ということで、本日の作業は、動画撮影もせず、挙句の果てには最後の状態の写真を撮ることすら忘れてしまうくらいに特別なことはせずに、これまで積み上げてきた伐採竹の幹や枝を束ねるだけに終わってしまった。

最近はこのような作業ばかりが続いていて、なんだか物事が前に進んでいないような気がして正直なところ少し不安になっている自分がいる。

これまでの作業は、大体の大きな変化がわかる程度には動画撮影をしてある。Youtubeなどで情報共有できるように用意してあるのだが、活動そのものは保護活動や動物愛護に関するものを考えているので、DIYで竹きってシェルター作ってます!という動画を公開したところで意味がなく、これはこれで悩ましいものである。

建物のリフォームの前に、敷地の土地をきれいにしないといけないのだが、あまりにも荒れ地となって竹を伸ばしてしまっていたので、竹の地下茎の伸びている範囲も考えると可能な範囲で地下茎を掘り返さないといけないし、それが終わった後にリフォームだ。井戸もポンプを新しくしなければならないし、個別浄化槽もどれだけ使っていないのか知らないので、そのまま使えるのかどうかも疑わしい。

これだけの数の「全く知らないこと」が先々のタスクリストにある状態になると、そりゃぁまぁ不安にもなる。ただ人間、不安になったときにやれることは限られていて、解決策は「不安になっている事柄に対して白黒つけていく」というのは、私の人生経験上間違いないのだ。

不安なのは、その不安の種が何かしらの理由により「わからない」からなのだが、実はその「わからない」ことは調べたり、聞いたり、問い合わせをすれば「わかる」ことが多い。ではなぜそれをやらないのかというと、多くの場合はそれを調べたり、聞いたり、問い合わせたら「きっと自分が望まない結論に至る」気がしている場合が多いからだ。つまり、かなりビビっているということだ。

ビビってないで意地を見せてみろ、俺!

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