父の背中

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動物の記憶とは

2022年11月14日(月)快晴。

ブログで記事を更新していると「毎日良く晴れる日が続くなぁ」と驚くことがある。

しかし、それは天気予報を見ながら晴れている日を選んで作業をしているためであって、天気が悪い日はペットバレー動物保護シェルター予定地にはきていないだけだ。

自分自身でも改めて認識しているが、人間の記憶というものは最も簡単に都合の良い姿に変わってしまう。

それは辛い経験を記憶から消し去り精神衛生上の健康を保つ為の機能なのか、単純に人間の持つ記憶機能の限界なのかは知らないが、いずれにしても我々は自分の都合の良い記憶を沢山思い出として残しているわけだ。

動物達はどうなのだろうか。もし人間のように辛い記憶を消し去ることが出来ないのであれば飼い主と離れることになってしまった辛い記憶とはどうように向き合っているのだろうか。あるいはそんな戯言など関係ない程度に、動物的な本能でアドホックに適応しくだけなのだろうか。

動物倫理を重視する世の中というものが、どのように人間と動物の関係を変えていくのか、まだまだ考えきれてはいない今の自分がいるのが正直なところだ。

さて、今日の作業に取り掛かろう。ちょうど3日前に庭に整理して積み上げた竹の幹、枝、葉の処理を進める必要がある。これをやらないままに竹を切り進めるとそれはそれで後からの整理が大変になるためだ。

今日もロードバイク用のOGK KABUTOサングラスをつけて作業をする。枝が不意にはねて目に当たりそうになるのを防ぐのが目的だ。

時折、仕事の電話がかかってる。色々と捲し立てられるように電話の向こう側から声がするが「こちとら龍ヶ崎で竹切ってんだ!」と言うわけにもいかず、差し障りのない会話で追って連絡をする旨伝えて、また作業に戻る。

お昼前の庭の写真。作業開始のタイミングよりも随分と竹の整理が進んでいるのがわかるだろうか?

ここで今日の作業は終了、と言うわけにはいかないのが辛いところで、空いたスペースにまた竹を積み上げるため西側の竹壁を切りはじめる。

再度、庭にある程度の量の竹を積み上げたら、また幹、枝、葉に整理をする。この葉を切り落とす作業が地味に堪えるのだ。

整理がある程度できたら、ビニール紐で束ねられるものは束ね、袋詰めできるものは袋詰めしていく。これらは今日、手伝いに来てくれた父親がやってくれている。

話がまたそれてしまうが、記憶の話に戻したい。私は私自身の子供を授かるまで、父親としっかりと会話をした記憶は正直ない。

幼少期の記憶は余りなく、あまり喋らない生真面目な父親というイメージを持ったままずっと自分の人生を全うしてきた。

私自身が3人の子供を持つようになり、子供達の成長と共に子供への愛情、子供達の将来への不安や希望、自分自身がやれること等のあらゆる要素が複雑に絡み合う中で子供達と向き合う経験を通じ、どれだけ自分の両親を不安にさせ、困らせる、無理をさせてきたのかが良くわかれるようになった。

全く裕福な家庭でもないのに1995年に米国の大学に留学させてもらったりとどれだけ精神的、また同時に経済的な負担をかけてしまったのかというのも今となっては胸が苦しくなるほどにわかるつもりだ。

そこまで愛情を注いでくれた両親に、直接的な感謝もしっかり伝えられていないままに子供が産まれ現在の、遠からず近からずな関係に収まっている。

子供はいつまで経っても子供だから、と言う話なのかもしれない。が、色々と私に対しても思うところがあるであろう父親が、多分嫌な思い出とかを全て消し去って(あるいは飲み込んで)、特に頼みもせずともこうして息子の戯言に付き合ってくれるのは本当にありがたいことだ。

父の背中が示してくれるその姿を胸に焼き付け、私も自分の子供達にこれからも最大限の愛情を注いでいこうと思うのだ。

父の話はこれくらいにしておいて、竹の整理に話をしたい。整理した幹、枝、葉をきれいにしめ今日の仕事の後片付けをする。

また庭の地表と対面した上で作業を終えられる日は割と清々しい気持ちになる。まだ少しだけ葉は残してしまっているが、お察しの通りまた作業を始めた瞬間に庭は竹に覆われることになるので、残しておくことそのものは実は大きな問題ではない。

切り揃えてら束ねた竹はこの様にしておく。少しだけでもこの形で置いておくと水分が抜けて重量かかるくなる。有料廃棄はキロ単価で値段が決まるので軽ければ軽いほど料金は安くなるのだ。

さて、父に感謝を伝えつつ、今日の作業を終了としたい。

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