【第五章】環境倫理学の展開【はじめての動物倫理学】

はじめての動物倫理学
目次

第5章 環境倫理学の展開

環境倫理学からの問題提起

第五章からは環境倫理学に話が展開している。動物倫理学の本を読みながら、頻繁に環境への影響の話が出てきていたので、ここで環境倫理学の話が入ってくるのはさもありなんという感じではある。ここではそのような話への導入として話が展開されているの整理する。

著書は、動物倫理学は動物の権利を重視し、動物を単なる人間の客体ではなく意思を持ち行動できる主体として考えるべき(人間中心主義的な見方をやめて人動物を尊重すべき)だという主張である旨を再度説明をしている。

このような動物倫理学の主張に対して環境倫理学は、人間中心主義を克服する試みについては同調しているものの、動物倫理学も伝統的な哲学の偏見から抜け出していないことを批判していると述べている。この点について、著書は更に説明を深めるためには、まず環境倫理学がどのような学問であり、どのように始まったのかを考える必要があるとし、次のセクションに話を進めている。

環境倫理学の始まり

このセクションでは、環境倫理学についての概要を説明した上で環境倫理学の歴史の始まりについて言及している。要約してみる。

環境倫理学は現代の環境問題を考察する応用倫理学の一部門であり、他の応用倫理学とは異なり、既存の倫理学原理を否定し新たな原理を提案することを志向している。

この学問は地球温暖化などの特定の環境課題に対して規範倫理学の原理を具体的に応用し、その分野特有の倫理的考察を行う。環境倫理学の始まりから、旧来の倫理学の原理的否定を志向していたため、そこに特異性がある。一部の論者はこの否定を環境倫理学の核心とし、他の論者はこれを限定的に受け入れつつ、旧来の方法論との結びつきを模索している。

環境倫理学の歴史は大学の専門研究学科としては比較的浅く、アメリカの哲学者であるホームズ・ロールストン三世やジョン・ベアード・キャリコットがその先駆的な研究者として挙げられる。

環境倫理学が大学の専門科目として設けられたのはキャリコットによるもので、1971年のこと。しかし、キャリコットは一般には環境倫理学の始祖と見なされていない。始祖はキャリコット自身が環境倫理学の元祖と指定しているアルド・レオポルドであり、アルド・レオポルドが提唱した土地倫理が環境倫理学の基礎となっている。

土地倫理における人間の位置付け

このセクションはレオポルドの土地倫理に焦点を当て、その独自性や位置づけについて述べている。環境倫理学の初期の理論となる土地倫理は、伝統的な倫理学とは異なる独自の方法論を用いているそうだ。キャリコットによれば、レオポルドは環境倫理学の先駆者であり、その思想は環境倫理学の基本視座である「全体論」に基づいているとしている。いかにもう少し整理したい。

レオポルドの土地倫理は、自然を含む生態系全体を広く含む「土地」を価値判断の基準とし、「物事は生態共同体の完全体、安定性、そして美を保存するならば正しい」という基本テーゼを持っている。これにより、人間は土地共同体の平等な構成員として位置づけられ、支配者や征服者ではなく人間も共同体の一部と考えられるとしている。

キャリコットは、土地倫理の核心が「全体論」にあると主張し、これが環境倫理学の基本的な視座であると述べている。全体論は環境世界全体を重視し、人間や自然を含むあらゆる要素を一つの統一体として捉える立場。

個体論から全体論へ

このセクションでは、キャリコットが環境倫理学において「個体論から全体論へ」の主題に焦点を当て、彼の動物倫理学における独自性と土地倫理の重要性について述べている。アカデミアの人達がどのような行動原理をもっているのか私は知らないが、キャリコットは環境倫理学での論理を作っていく中で、動物倫理に対置して話をしているようだ。

キャリコットは環境倫理学の講座を開講し、動物倫理学において独自性を示すために「動物解放:三極問題」という論文で、動物解放論や動物権利論といった動物擁護哲学を評価しつつも、独自の環境倫理学を提唱した。

キャリコットは、従来の倫理学が価値を個体に内在させる個体主義であることに焦点をあて、人間も他の動物と同様に個体主義に縛られているため道徳的地位を確立するためには個体主義を乗り越えなければならないと主張している。

彼は「二極構造」が表層的な対立であり、動物解放論と伝統的な哲学が同じく個体主義に基づいているとし、「土地倫理」を提唱して全体論の第三極を示唆している。土地倫理は個体主義ではなく、人間を中心ではなく環境全体を価値の基準とし、これが環境倫理学の真実のオルタナティブとして位置づけられると説明している。

全体論的な土地倫理は、人間や動物を個体としてではなく、環境全体の一部として位置づけ、現代の持続可能な文明論に対応する重要な理論的要請に応えるものであるとしている。ただし、価値を各人や動物の個々の存在に内在させない立場は、権利の本質が価値やそれによる根拠に基づくものであると考えると、適切でないと感じられる。この文章の説明として著書は「自然の権利」についての解説にすすむ。

自然の道徳的権利

  1. 「自然の権利」は、動物だけでなく、自然そのものが権利を持っているという考え方であり、法的な権利と道徳的な権利を区別する必要がある。
  2. 法的な自然の権利は、例えば樹木が原告となり人間が代理人となって裁判を起こすといった議論があり、これは法的解釈や戦術としては成り立つかもしれないが、本質的な権利の議論とは異なる。
  3. 本来の意味での権利は道徳的な権利であり、動物には感覚的存在であることが最低の前提条件とされている。
  4. 自然環境の破壊が悪影響を及ぼす対象は、その環境に生きる感覚的存在によるものであり、無機物や感覚のない生物は権利を持たない。
  5. 権利の根拠は内在的価値であり、個々の人間や動物に帰属するものとし、全体論や環境世界が権利を持つという考え方は不適切とされている。

要するに、文章は法的な自然の権利と本質的な権利、そして権利の根拠についての異なる側面を取り上げ、特に個々の感覚的存在に焦点を当てている。

間引きと個体数調整の問題

このセクションでは、動物倫理において、「全体論」と「価値の個体主義」の対立が取り上げられている。著者は、個体主義を支持する立場から、動物対策において全体論者の意見にどのように対応すべきかについて述べている。

具体的には、個体数調整のための動物の間引きに対して、レオポルドやキャリコットのような個体主義の立場を持つ論者たちが、倫理的な価値を見出していたことが述べられている。ただし、これは動物権利論とは対立する視点であり、個体主義を支持すると野生動物の殺害を積極的に奨励する立場になることが指摘している。

つづけて動物権利論と個体主義を継承する動物倫理学の観点から、両陣営の動物に対する基本的な価値判断が異なることを強調している。倫理学的な立場から動物の殺害を原則的に悪とみなし、まずは介入を最小限に抑え、生態系のバランスを崩すことなく自然な状態に戻すべきだと主張している。ただし、特定の状況下では、生態系の異常が大量の動物死をもたらす可能性がある場合、功利主義や一部の動物権利論の観点からは限定的な間引きが許容されるかもしれないとしている。しかし、この立場でも動物の生命尊重が最優先であり、原則に固執することで動物の生命を損なってしまうのは望ましくないと述べている。

最後に、人間と動物の違いに触れ、動物の権利を尊重する立場からは、緊急避難的な極限状態では義務論の原則を柔軟化し、帰結主義的な思考を加味する必要があるかもしれないとしている。しかし、このような状況を避けるために、野生動物管理は殺すことを最小限に抑え、慎重に行われるべきだと締めくくっている。

自然の身になって考える

そもそも論としての、人間同士でも「相手の身になって考える」ことが極めて難しい昨今の世の中において、動物の身になって考えたり、自然の身になって考えたり、という絶対に理解することは出来ないものを「人間の尺度」で理解することを試みる意味があるのだろうか。その点で袋小路に入ってしまうと八方塞がりなので、いったん無視して本書の内容にフォーカスしていきたいと思う。

  1. 動物倫理と全体論的環境思想
    • 権利は個々の動物に内在し全体論的な環境思想は適切ではない。そうではあるがその全体論的な環境保護活動、とりわけラディカルな思想に対してはレオポルトやキャリコットの土地倫理よりもディープ・エコロジーが大きな影響を与えている。
  2. ディープ・エコロジーの原則
    • ネスによれば、ディープ・エコロジーの目的は個々の信条に矛盾せず、共通のプラットフォームを提供し、環境哲学を構築すること。
    • ディープ・エコロジーの8つの基本原則は、
      • 第一原則は生命圏全体が内在的価値を持つということ。
      • 第二原則は、生物多様性は内在的価値を持つということ。
      • 第三原則とは、人間には第一原則第二原則でいわれる内在的価値を損なう権利がないということ。
      • 第四原則は、人口の大幅な減少を求めること。
      • 第五原則は、現在人間が自然へ過剰な介入をしていることを認めること。
      • 第六原則は、経済成長至上主義とは異なる形の政策決定を求めること。
      • 第七原則は、物質的豊富さを豊かさの指標にすることを止めること。
      • 第八原則は、以上の七原則の支持者は努力義務を負うということ。
  3. ディープ・エコロジーの特徴
    • ディープ・エコロジーはラディカルな世界観の転換を個々人に求め、ワークショップなどが行われる。
    • 意識改革によって自然が主体として実感され、人間が自然を傷つけていることを痛感する。
  4. 環境保護へのコミットメント
    • ディープ・エコロジーは環境保護に対する強いコミットメントを生む。
    • 現代の環境危機に対処するためには、時に過激な環境保護運動が必要とされている。
  5. ディープ・エコロジーへの評価と考察
    • 文明を否定するような極端な立場には基本的に賛同できないものの、ディープ・エコロジーには学ぶべき側面があり、その力は環境保護への渾身のコミットメントを生み出す。

ディープ・エコロジーの限界とその先へ

このセクションでは、ディープエコロジーの理論とその課題、動物倫理学の立場、そして持続可能な人間と自然の関係に向けた展望が論じられている。ディープエコロジーの基本原理に焦点を当て、その理論がどのように展開されているか以下要約する。

  1. ディープエコロジーの基本原理:
    • ディープエコロジーは演繹的な構造を持ち、生命系全体が内在的価値を持つという基本原理に立っている。
    • 生物多様性もその一部であり、生物多様性の尊重は新たな経済的支援や科学的発見につながる可能性がある。
  2. 生物多様性の重要性:
    • 生物多様性の尊重は一般的な常識となっているが、その理由は明確ではない。
    • 不注意な開発を避けることで経済的な利益や未知の科学的発見が期待でき、長期的には大きな利益をもたらす。
  3. ディープエコロジーの立場:
    • ディープエコロジーは経済成長至上主義を否定し、生物多様性が重要であると主張する。
    • 生物多様性は自由でなく、土地倫理の観点からも環境の維持に役立つものとされる。
  4. 動物倫理学の立場:
    • 動物倫理学では、内在的価値は動物に認められ、植物や無機物には認められていない。
    • 内在的価値が認められた存在は、受ける苦痛に対する平等な配慮が求められる。
  5. ディープエコロジーの課題:
    • ディープエコロジーは人間の自然への介入を否定し、持続可能な文明の提起を求めている。
    • しかし、人間社会は自然への介入に依存しており、完全な自然回帰は現実的でない。
  6. 未来の展望:
    • 必要なのは、耐え難い自然加工のリアリズムに基づく人間と自然のあり方の理論。
    • カール・マルクスの思想が人間と自然の関係において一つのヒントとされている。
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