第二章 動物倫理学とは何か
応用倫理学としての動物倫理学
- 動物倫理学の背景:
- 現代倫理学では応用倫理学が注目されていて、動物倫理学もその一部。
- 人間と動物の関係に関する探究は倫理学の歴史においても古代から現代に至るまで続けられてきた。
- 現代の動物倫理学の特徴:
- 現代の動物倫理学は、過去の伝統的な思想との断絶が大きいとされている。
- 科学の進歩に伴い、人間と動物の連続性が分子生物学的レベルで証明され、これに基づいて動物の権利に対する見方が変わっている。
- 産業革命後の人口爆発により、動物利用が増加し、特に家畜の数が爆発的に増えたことが、動物と人間の関係に大きな変化をもたらした。
- 伝統的な動物観の相対化:
- 伝統的な動物観では人間は動物を利用しようとし、そのために多数の動物を新たに誕生させてきたが同時に環境破壊などの問題も引き起こし、持続可能性への脅威となっている背景から、動物倫理学は伝統的な動物観を相対化し、現代社会に適したものへの変化を提案している。
総括すると、現代の動物倫理学は現代の動物倫理学は科学の進歩と人口増加に伴う動物利用の増加を受けて、伝統的な動物観を再評価し、倫理的な観点から問題提起をしようとしていると考えられる。同時に、これらの問題的に伴う動物と人間の関係における倫理的な問題を浮き彫りにし新たに考えるきっかけを作ろうとしているようだ。
この本全般に言えることだが、動物倫理を論じるにあたり「当たり前のように断定形される結論」がそもそも科学的に一般常識なのかどうかが私にはわからなかった。そのような「とりあえず断定して述べられる結論」が多数あり、その断定に基づいた話が展開されるため、その結論に疑問符をつけてしまうとそれ以降の文章が頭に入らなくなってしまうため注意が必要だ。
カントにみる伝統的な動物観
イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、18世紀のドイツの哲学者で、道徳哲学において重要な貢献をした人物の一人。カントの道徳哲学「カテゴリカル・インペラティブ」という概念は、人間の道徳的な行動の基礎を論じている。カントの道徳哲学においては、動物に関する伝統的な視点が一部の議論に影響を与えたと言われている。以下では、カントの動物観についての考察。
- 人間中心主義:
- カントの道徳哲学は人間に焦点を当てている。カントは主要な倫理的原則であるカテゴリカル・インペラティブは、人間の行動と人間の道徳的な判断に関するもの。そのため、カントの哲学体系は人間中心主義に基づいており、動物に関する道徳的な配慮は限定的。
- 動物の権利と倫理的地位:
- カントは、人間と動物との間には根本的な道徳的格差があると考えていた。カントににとって、倫理的な権利と倫理的な地位は、理性を持つことができる存在にのみ与えられるものであり、動物には理性がないため、道徳的な権利を持たないとみなしていた。
- この観点から見ると、動物はあくまで人間の所有物として扱われ、人間の利益や欲望のために利用される存在であるという伝統的な視点が反映されている。
- 動物虐待への反対:
- カントは、動物に対する残酷な扱いや虐待に反対した。カントは道徳的に正当化できない動物虐待を非難し、倫理的に許容できないと考えていた。しかし、カントの反対は主に人間の道徳的義務に関連し、動物自体に対する権利を強調するものではなかった。
カントの哲学は、動物に関する倫理的な問題については人間中心主義的な視点を持っていて、同時に動物虐待に反対し、動物に対する不当な苦痛や虐待を倫理的に問題視する要素も含まれている。しかし、彼の主要な道徳的理論は人間の道徳的行動に焦点を当てており、動物権利運動の観点から見ると限定的であると言える。現代の動物倫理学は、より広範な動物の権利や福祉に関する議論を展開していて、カントの視点から大きく発展していると言える。
機械としての動物
ここでは、カントとデカルトの倫理学と動物機械論について記述がされている。
- カントの動物観:
- カントは、動物の道徳的な地位を「手段として利用される存在」と捉えた。
- 動物には理性がなく、心もないと考え、それゆえに動物は生きた道具として人間に利用されることが許容されると主張。
- カントは一部で動物への苦痛への配慮を訴えつつも、動物には自己意識がないと述べるなど、論理的な一貫性に欠ける側面もあった。
- デカルトの動物機械論:
- デカルトは動物を機械のような存在と見なし心や感覚がなく苦痛を感じていないと主張し、動物は実際は機械的な存在であると考えた。
- デカルトの思想は「動物機械論」として知られ、人間も機械的な存在であるが、思惟する存在であるために特別であると説明した。
- デカルトの二元論:
- デカルトは世界を二つの異なる実体からなるものと捉えた。一つは物体で、その主要な属性は延長(大きさ)で動物もこのカテゴリーに含まれる。もう一つは精神で、その主要な属性は思惟(理性的な思考)であり、人間はこのカテゴリーに属する特別な存在だと見なした。
- 人間と動物の違い:
- デカルトによれば、人間は身体的には動物と同様に機械的な存在であるが、精神の本質においては単なる機械ではなく、思惟する存在であるとし、人間と動物を根源的に異なる存在と見なした。
総括すると、人間と動物の関係における二元論とは異なる立場の説明として、カントとデカルトの倫理的視点と動物機械論に焦点を当てて説明している。
動物機械論の帰結
前述の通り、デカルトの動物観は、動物を機械的な存在とみなし、動物には心や苦痛の感覚がないと主張している。この観点から見ると、動物は人間の所有物と同じように扱われ、必要に応じて利用されるべきであるという立場になる。一方で、この動物観は現代社会においては受け入れ難いものであり、多くの人々が動物の苦痛は取り除いてあげるべきだと考えるだろう。
- デカルトの影響:
- デカルトの動物機械論は、動物に対する倫理的配慮を減少させ、動物実験や虐待の正当化に寄与した。
- 彼の考え方は一部の科学者や実験者に影響を与え、動物実験を行う際に動物の苦痛を軽視する考え方が広まった。
- 現代への影響:
- 現代の哲学者や倫理学者は、デカルトの動物機械論を受けて、動物の倫理的地位について再考し、改善を提案している。
- 動物関連科学の進歩により、動物は複雑な行動や感情を持つことが明らかになっており、デカルト的な観点は時代遅れと考えられている。
- 現代の倫理学者は、動物に対する倫理的配慮を高め、動物権利の保護を強調している。
- 動物機械論の影響:
- デカルトの動物機械論の影響は、動物実験や家畜の扱いにおいて一部で続いている。
- 動物実験の正当性や、家畜の飼育・処理方法については、依然として議論が続いている。
- 一部の倫理学者は、動物の心理的側面を考慮し、動物の苦痛を軽視しないように主張している。
デカルトの動物機械論は、動物に対する倫理的議論に大きな影響を与えたが、現代の動物倫理学では、科学的知見と倫理的配慮を組み合わせ、より総合的なアプローチが求められている。
人間と動物の連続性
ここでは、デカルトやカントに代表される近代西洋哲学における動物観と、それに対抗する進化論と現代の動物関連科学の影響について整理し人間と動物が同じような存在であるということを述べている。
- 近代西洋哲学の動物観:
- 近代西洋哲学は、動物は人間とは根本的に異なる存在であり、人間特殊論を前提としていた。
- 古代のアリストテレスの人間観を継承し、人間は他の動物とは異なるロゴス(理性)を持つ唯一の存在とされた。
- この人間特殊論はキリスト教によって裏付けられ、宗教的権威によらずとも普遍的な事実とされていた。
- 進化論の影響:
- チャールズ・ダーウィンによる進化論の提唱は、動物と人間の連続性を示唆し、人間特殊論に挑戦した。
- 進化論に基づく動物関連科学の発展は、伝統的な人間特殊観が科学的に否定される事実を明らかにした。
- 動物と人間との共通性が証明され、指標とされてきた特徴も動物との連続性を示すものとして認識されるようになった。
- 現代の動物関連科学の示唆:
- 言語や社会的関係、道具の使用など、従来人間特殊論の拠り所とされた要素は、現代の研究により動物でも観察されることが明らかになった。
- DNAの解明により、人間と類人猿との遺伝的類似性が示され、人間と動物の連続性が確立された。
- これらの事実は、伝統的な人間特殊論の基盤を揺るがし、人間と動物を隔絶された存在とは考えづらくなった。
- 現代の結論:
- 現代の動物関連科学は、動物と人間との連続性を強調し、人間も動物の一部であるという事実を示唆している。
- 一方で、人間は文化的な存在であり、高度な言語と文明を持つが、これは動物との根本的な違いではなく、より高度な生態的適応に基づくものである。
- 伝統的な人間特殊論は、現代の生物学的知見に反するものとして、再評価されるべきである。
現代の科学と哲学は、人間と動物との間に存在する共通性を認識し、動物の権利と倫理的配慮に関する議論を促進している。人間と動物の違いを誇張せず、科学的事実に基づいて倫理的な立場を構築することが重要としている。
伝統的動物観への挑戦
ここでは、人間と動物の関係における歴史的な哲学的背景と、ルイス・ゴスペルツおよびヘンリー・S・ソルトといった動物擁護者のアプローチに焦点を当てて述べられている。
- 人間と動物の関係の哲学的背景:
- 人間と動物の関係について古くから人間と動物の本質的な違いが強調されてきた。実際問題として、古代ギリシャや古代ローマを除いて、一般的には人間と動物は異なる存在と見なされていた。
- 経験論哲学と人間と動物の類似性:
- 近代には経験論哲学が興隆し、一部の哲学者が人間と動物の類似性を主張した。
- ジョン・ロックなどの経験論者はキリスト教の影響から、人間と動物の区別を相対化できなかった。
- ヒュームとベンサムの類似性主張:
- デヴィット・ヒュームは動物も共感の感情を持つと主張した。
- ジェレミー・ベンサムは動物と人間の同質性を訴えたが、動物の配慮には踏み込まなかった。
- ルイス・ゴスペルツのアプローチ:
- ゴスペルツは動物擁護の先駆者で、動物の利用に倫理的な問題を提起した。
- 彼は肉食や動物性食品の摂取を否定し、動物の権利を人間と同等に捉えて自身も実践した。
- ゴスペルツのアプローチは、ピーター・シンガーなど後の動物擁護者に影響を与えた。
- 馬の扱いに関する倫理的問題:
- 馬はかつて移動手段や力源として重要で、その物としての扱いに倫理的な問題があったが、一方で倫理的理由をもって利用を否定するには人間にとって重要すぎる存在であった。
- 現代では移動手段や力源としての馬の重要性は低下し、競走馬のような動物搾取を思わせるスポーツの是非というような問題はあるが、万人の生活に密接にかかわるようなテーマとしての倫理的な問題は一般的ではない。
- 現代の動物倫理学:
- 現代の動物倫理学は科学的なアプローチを取り入れ、動物の権利を主体的に認識している。
- 古典的な視点から学びつつ、現代の動物倫理学はより具体的で一貫性のある理論を構築している。
2章では、同じ哲学者?倫理学者?があっちこっちに繰り返し出てきて確立した論理を引用されるわけだが、ついていくのが大変である。真剣に学ぼうとしている人は、名前と主張を一覧にして読書をした方がよい気もする。
現代動物倫理学の胎動
ここでは、特にピーター・シンガーとその著作「動物の解放」に焦点を当てて動物倫理学の歴史的な発展について述べている。
- 動物倫理学の歴史:
- 動物倫理学は非常に若い学問であり、まだ確固とした学問体系を持っていない。
- ピーター・シンガーと「動物の解放」:
- ピーター・シンガーは動物倫理学の現代的な始まりを確立した人物であり、彼の著作「動物の解放」はこの学問のスタート地点とされている。
- シンガーは1946年生まれで、20代の若さでこの著作を執筆し、広く受け入れられた。
- 彼の明晰な理論とわかりやすい叙述により、多くの人々に動物問題への関心を喚起した。
- この本は今でも動物倫理学の著作の中で最も読まれている一冊である。
- 食肉産業の実態の暴露:
- シンガーの著作は、現代の食肉産業の悲劇的な実態を広く伝える役割を果たし、消費者に認識を広げた。
- 工場畜産の実態が暴露され、食肉動物の置かれている状況が明らかになった。
- 動物の権利の問題:
- シンガーの著作は、動物の権利の問題には完全に対応しきれていなかったが、シンガーの影響を受けた哲学者たちが、動物の権利を厳密に基礎づける著作を執筆し、現代の動物倫理学に確固とした土台を築くきっかけとなった。
- この中で、トム・レーガンの「動物の権利の擁護」が特に重要である。
- 現代の動物倫理学の創始者:
- 現代の動物倫理学の創始者は、ピーター・シンガーに始まり、トム・レーガンによって確立されたとされている。
シンガー動物理論学の両義性
ここでは、ピーター・シンガーの動物倫理理論に関する両義性を述べている。
- 肯定的な側面:
- シンガーの理論は動物の権利について重要な問題を浮き彫りにし、動物に対する倫理的責任を訴えている。
- シンガーの理論により、多くの人々が動物擁護に関心を寄せ、行動を変えるきっかけとなったとされている。
- 批判的な側面:
- シンガーの動物倫理は功利主義に基づいており、感覚を持つ存在が苦痛を感じる権利を持つという観点から動物の権利を強調しているがこの理論は苦痛を感じない動物に対する利用を容認する可能性があるため、動物解放の理論と運動に歪みをもたらすことがあると指摘されている。
- シンガーの理論は自由や動物の尊厳を考慮せず、功利主義の観点から動物の利用を正当化する可能性があるため、一部の人々からは批判されている。
シンガーの動物倫理理論は両義性を持っているが故に、動物の権利に関する対話と議論の重要性を示唆している。非功利主義的なアプローチを支持する人々は動物の自由や尊厳を重視してシンガーの理論に否定的な場合もある。
動物権利論の確立
同じような話題や固有名詞が何度も出てくるので、頭の整理が追い付かないが、可能な限り以下にまとめてみたいと思う。
- 先駆者と現代動物倫理学の違い:
- 現代動物倫理学を他の先駆者と区別する特徴は、論理的な一貫性と、強固な哲学原理を持っていること。
- 先駆者たちの制約:
- 古典的な哲学家(デカルト、カント、ベンサムなど)は、種差別主義者の影響を受けていて、動物についての適切な視点を持てなかった。
- ピーター・シンガーの功利主義:
- ピーター・シンガーは動物倫理学に重要な貢献をしたが、その理論は功利主義に基づいており、動物の権利を充分に基礎づけることができなかった。
- 動物の権利の基礎:
- 動物の権利を確立するためには、倫理的な基礎づけが必要。
- カント倫理学の中で、動物にも人間同様に内在的な価値を認め、それを基礎にする道徳論が必要だと提案している。
- トム・レーガンとinherent value(固有の価値):
- トム・レーガンは、inherent value(固有の価値)という概念を提唱し、それを基に動物の権利を哲学的に基礎づけた。
- この概念によれば、個別の存在に一度固有の価値が認められれば、その存在は単なる手段としてではなく、目的として尊重されるべき存在となる。
- 権利の本質:
- 権利を持つ存在は、自己の自由が他の目的のための手段ではなく、それ自体としての目的的価値を持つ存在。
- この観点から動物も目的的存在としての権利を持つべきであるとされている。
- トム・レーガンの権利論:
- レーガンは、カント倫理学の人格概念を拡張し、高度な意識性や言語能力がなくても、自らの生を自己自身として自覚できる存在が権利を持つと主張した。
- この「生の主体」としての存在が権利を持つ条件であるとしている。
- 権利の適用範囲:
- 権利を持つ存在は、その具体的な内容は科学の進歩に応じて変化するべきであるとされている。
- 初期の考えでは、一歳以上の正常な哺乳類に限定されていたが、後の研究によりその適用範囲が広がった。
- 難問としての限界状況:
- 動物倫理学において難しい問題の1つは、極端な状況下での選択。例えば、救命ボートに限られた人数しか乗れない場合、人間と動物の間で優先順位の決定が必要となる。このような場面で、人間と動物の権利をどのように調停するべきかが問題とされる。
- レーガンの調停に対する評価:
- レーガンは、この種の限界状況では無条件に人間を優先すべきだと主張したが、これは彼自身の動物権利論と整合性がない。
- この問題は、動物権利論が直面する理論的難点であると指摘されている。
- 限界状況と権利の調整:
- 動物権利を認めた場合、限界状況下で人間か動物かを犠牲者として選ぶかという問題が存在するものの、この問題が動物倫理学の有効性を損なうものではない。問題はむしろ、日常生活において動物権利論が理論的に立ち往生する可能性の方にある。
- 動物権利の目的:
- 動物権利論は、動物を単なる手段としてではなく、目的として尊重すべき存在と位置づける。このアプローチにより、人間は動物を道具のように扱ってはならないと規定される。
- 動物利用の変化:
- 現代において、動物利用は文明生活の必需ではなく、文明生活の存続に直接関連しないものとなった。これは機械化や科学の進歩により、動物の役割が変わり、動物利用の必要性が減少したことを意味する。
- 動物権利論の特殊性:
- 動物権利論は現代の倫理学で特別な位置を占めており、かつての時代とは異なる文脈で発展している。先駆者たちが提起した議論は、その議論が提起された時代よりも、より現代の動物倫理学に直接繋がるようになっている。これは主張の現実性が科学の進歩によって現代の方がより現実的だということを意味する。
- 倫理的実践の困難:
- 動物倫理学の実践には、動物利用を認めない立場からくる倫理的な制約が存在する。この問題は動物倫理学だけでなく、倫理学全般に共通するものであり、実践困難さに対処する必要がある。
動物と所有
ここでは、動物権利論における義務論に基づくアプローチと、その倫理的な背後にある考え方について議論しているように思う。
- レーガンの動物権利論の義務論的アプローチ:
- レーガンは功利主義ではなく、義務論に立脚して動物権利論を展開した。このアプローチにより、動物倫理学は新たな理論的方向性を見出すことができた。
- 動物権利の意味:
- 動物の権利を認めることは、動物が他者によって生死が決定されないという考え方。この立場では、動物の利用自体を認めない立場であり、動物の利用の廃絶を目指している。
- 動物の自由と奴隷制度:
- 先駆者たち(例: ソルト)は動物を自由な存在と位置付けたが、この自由を哲学的に厳密に基礎づけられなかった。自由は手段ではなく、自由自体が目的であるとの立場から、動物にも自由が必要だと主張した。
- 廃絶主義的アプローチ:
- レーガンから始まる現代の動物権利論は、「abolitionist(廃絶論者)」として知られる。このアプローチでは、動物の権利を法律的に認め、動物をプロパティ(所有物)と見なさないことが主張されている。
- 動物所有と権利認識:
- 動物に権利を認めることは、動物を財産として所有する考え方に挑戦することを意味する。フランシオンは法的な所有権に依拠して動物の権利を位置付けるべきだと主張するが、この立場には批判も存在する。
- 動物の自由と倫理的変革:
- 動物権利論は、動物を所有物として扱う伝統的な見解を変え、社会全体の制度の見直しを求める革命的な変革を提唱している。
私にとってはフランシスの論理展開はここを読むだけではいまいちよくわからなかったのだが、前提として「所有権を持っているものは権利主体であるから物ではない」と「動物は現在は所有物として扱われている」があった上で、その所有権を動物そのものに認めることによって動物は権利主体である」という論理の確立をしようとした、と認識している。
徳倫理学と動物
このセクションでは、ここまでも何度も繰り返し述べられている動物倫理学の柱の3つ(2つ+1つ)である、功利主義、義務論、徳倫理学を用いて現代の動物倫理学の発展における異なるアプローチと立場を比較している。
- 現代の動物倫理学の発展:
- 動物倫理学はシンガーによる功利主義的な動物開放論から始まったが、功利主義では動物の権利を適切に基礎づけることはできなかった。
- レーガンの動物権利論は義務論に依拠し、動物を「生の主体」と位置付け、動物の権利を哲学的に基礎づけた。現代の動物倫理学はレーガンによって確立され、その後も動物の権利に関する理論的展開は続いている。
- 徳倫理学的なアプローチ:
- 徳倫理学的な動物倫理学のアプローチも存在するが、功利主義や義務論に比べて少ない。
- ロザリンド・ハーストハウスなどの徳倫理学者も動物倫理に関する著作を持っているが、徳倫理学は明確な原理に基づくシステマチックな理論とは異なる。
- 徳倫理学は美徳や悪徳に基づいて個別の事象を評価し、動物虐待に反対する一方で、伝統的な狩猟なども美徳として評価することがある。
- 狩猟の例:
- 狩猟は功利主義や義務論的な立場では原則的に禁じられるが、徳倫理学では状況によって評価される。
- 伝統的な狩猟が美徳とされる一方で、娯楽のための野生動物の追い詰め射殺が悪徳とされることがある。
- 徳倫理学において異なる価値判断が生じることがある。これは狩猟に対する評価が全く正反対の立場からそれぞれ評価されてしまう事象からも明らか。
- スクルートンの立場:
- スクルートンは動物に対する徳倫理学の立場から動物倫理に取り組んでおり、ハーストハウスと同様に徳倫理学を基盤としているがスクルートンは動物権利にも動物解放にも反対している。
- 特に狐狩りを擁護し、他のブラッド・スポーツが禁止されてきたにも関わらず、イギリスの伝統として続けられてきた。
- 狐狩りと徳倫理学の分裂:
- 狐狩りは一般的に功利主義や義務論によって非難され、蛮行と見なされている。
- ハーストハウスは狐狩りに悪徳を見出し、美徳を感じることはできないと主張したが、スクルートンは狐狩りに美徳を見出していた。このような価値判断の分裂は、徳倫理学の特徴であり、功利主義や義務論では生じない。
- 徳倫理学の特徴と挑戦:
- 徳倫理学は明確な原則に依拠しないため、価値判断の基準が個人の道徳感覚に依存する。
- 徳倫理学は行為者の全人的なあり方に焦点を当て、行為者の徳を高めることを重視しているが価値判断の基準が個人に依存するため、議論の終息が難しくなり、倫理学理論としての制約が少ないとされている。
- 徳倫理学の有効性:
- 徳倫理学は動物倫理の基礎的な方法論としては難しい面があるが、行為者の徳を高め、動物倫理へのコミットメントを強化する効果が期待される。
- 動物倫理は人間による規範であり、徳倫理学を導入することで、倫理的実践がより意味深いものになる可能性があると指摘されている。
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