人間福祉と動物福祉の迫間

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動物愛護家とは何なのか

動物愛護家とはいったい何なのか。動物愛護団体とはいったい何なのだろうか。

動物保護シェルター作りに着手して1年が経たとうとしている私だが、動物愛護家と呼べるような信条や考えを持っているわけでもないし、動物愛護団体として活動をしているわけでもない。また、時折テレビやメディアに登場して展開される動物福祉や動物倫理といった領域のトピックスについても(現時点では)全てにおいて賛同しているわけでもない。

一方で、人間の営みの中で遺棄されてしまう飼育動物を保護し、新たな飼育環境を早期に見つけ出すという行動の1点だけを捉えれば、その必要性や意義については大いに賛同しているわけだ。

自分で、賛同していない点もあると言っておきながら、明確にそれが何かを述べられるほどの知識や整理もできているわけではない。ただ私は、私達を取り巻く世界において多くの価値観はその経済的合理性に基づいた取捨選択であると考えているので、動物倫理や動物福祉に通じる活動においても頭の中の理解としては「人間の主観的な判断に基づいた経済的合理性」がそこにある(のだろう)と捉えている。

そうであるがゆえに動物愛護活動を支えているのは多くのボランティア(無償、またはそれに準ずる奉仕)である実情を鑑みると、それらの活動の構造が複雑怪奇なものであると感じてしまうのが本音だ。

同様に、動物保護や動物倫理は大切だと考える一方で、人間にも存在する貧困や生活苦を解決するような活動には従事していない点を、個人の選択や価値観の違いとして処理していいのか?という問いにも、自分の中の倫理観を整理できていないのが正直なところだ。

動物との共生を目指す

「動物との共生を目指す」という言葉はよく聞く言葉だ。

文字列だけを見れば、何となく良いことであるように受け取れる言葉である。ただ、それが実際に何をすれば良いのか正確に言葉にできる人は珍しいだろうし、仮に言葉にできる人がいたとしてもその多くは「動物との共生」への道のほんの一部分について表現している場合が多いだろう。

これは私が「貧困がない世界を目指す」と言ってみたり「戦争が起こらない世界を目指す」と言ったとしてもそのために何をするのか?が抽象的になってしまうのと同様で、あまりにも多くの人を巻き込む以外に世界を変える術がないのが現実だからなのだろう。

ではなぜやっているのか?と問われれば、少なくとも私自身が現在携わっている仕事上、このような活動を行う直接的、または間接的な経済的合理性がある(と思っている)からである。本気で動物との共生の実現を目指していないということではない。自分ができる範囲で、出来ることを一つ一つやっていこうとしていると捉えてもらえるとありがたい。

少しでも目的の達成の近づくためには、まだまだ知識整理や理解が追い付いていない点が多いという認識は自分でも持っているので、常日頃から可能な限り動物愛護や動物福祉、動物倫理といった領域の知識習得を怠るわけにはいかない。

思考整理のためにも、呼んだり学んだりしたものはこのブログにも記載していく所存だ。

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