その機会費用をどうとらえるべきか
自治体の保護センターが随分と豪華な感じになっていて、この地域の保護犬や保護猫は手厚いサポートが受けられるようだ。基本的に、動物保護施設は常に資金との戦いがあると思うが、そのような制限の中で施設そのものを豪華にするという選択肢は民間では限られたところしか難しい。
そうなると、基本的には個々が有する資源を限度として、その限りの中の選択肢に優先順位をつけで何をどう作り、どう運営していくかまで決めることになる、はすだ。
少なくともペットバレーは、かなり限られた資金の中で取捨選択をしながらやってきたし、今後もそれは同様だろうから、設備の綺麗さというものは当分手をつけることは難しそうだ。
究極的には、資金を一匹でも多くの保管ができる最大値を取るか、保管している動物がより快適に過ごせる設備や愛護活動に必要となる諸設備にスペースを割くかを悩むことになる。
ここでも潤沢なお金があれば、最適解に辿り着きやすいのはいうまでも無い。殆どの問題はお金で解決できるんだよというとそれはそれで味気なく、また著しくモラルに欠ける発言になるのかもしれないが、真理でもあるはずだ。
が、例えば設備の一つを削れば保管できるキャパシティはどれくらい増えるのか。そのスペースが年間でどれくらいの回数が回転できるのか。その掛け算が、設備投資に使った費用の機会費用となるわけだが、さて、どっちが良いと話は極めて難しいだろう。
少なくとも行政の施設であるならば、市民の税金で補われているのだからやはりしっかりとした設備は必要だろうし、周辺の保護施設と連携が取れれば特定地域をカバーする地域の二次診療病院のように、保護シェルターの中心地となることもできるのかもしれない。
いずれにしても、ただでさえ資金が足りない保護シェルターが多い現状においては、その界隈に集まる資金は一切の無駄がないように循環できないと色々な無駄が生じ、結果的には救える命の数が減ってしまうであろう。
ペットバレーにおいては、一般企業で運営する保護シェルターとなるので、多少は会社都合の運営方針をとることができる領域もあるかもしれないが、やはり社会に貢献できるように常に最良の判断ができるよう尽力したいと思う。
コメント