【第四章】人間中心主義を問い質す【はじめての動物倫理学】

はじめての動物倫理学
目次

第4章 人間中心主義を問い資す

伝統的動物観の前提としての人間中心主義

このセクションは、何度も繰り返されてきた「動物倫理学は応用倫理学の一部で、規範倫理学の方法論を使用している」「動物倫理学の主要な立場として功利主義、義務論、得倫理学がある」という前提から始まる。これもたびたび出てくるが、動物倫理学の中心テーマが「動物の権利」でありそれを根拠づけているのは義務論。動物の権利を擁護するというのは、動物も動物同様の権利主体であると考えていることや、動物利用が動物の権利を侵害していると考えていることについて述べられている。読んでいてキリスト教をベースにした世界観と、それを背景にした価値観の衝突などが読んでとれる説明部分がとても腑に落ちた自分がいたことを明記しておきたい。

  1. 伝統的な動物観と人間中心主義:
    • 伝統的な動物観には人間中心主義の前提がある。
    • 人間中心主義は、世界を常に人間の視点から見る思考法であり、人間を世界の中心と考える。
    • この思考法は日常的な言葉遣いにも反映されており、例として「環境」の語義が挙げられる。
    • 欧米ではこの人間中心主義が深く根付いており、キリスト教的な影響を受けている。
  2. 欧米の人間中心主義と動物倫理:
    • 欧米人の思考にはキリスト教的な人間中心主義が染み込んでおり、世界の中での人間の位置を重要視している。
    • この思考が動物倫理学や環境倫理に影響を与えており、環境破壊などの問題を引き起こしている。
  3. 欧米人と日本人の違い:
    • 欧米人のキリスト教的な人間中心主義に対して、日本人は理解が難しいと感じることがある。
    • 欧米人の矛盾的な態度に対して反発が生まれることもある。
    • 捕鯨問題が一例で、欧米人の偽善的な態度に対する不快感が表れた。
  4. 結論:
    • 欧米的な人間中心主義は世界観に影響を与え、環境破壊などの問題を引き起こすことがある。
    • この思考スタイルを理解することは重要であり、持続可能な文明の実現や動物倫理の議論においても重要なテーマである。

キリスト教と人間中心主義

このセクションでは、キリスト教の人間中心主義が環境破壊と動物搾取の背後にあると問題提起をしつつも、そのような単純な理由でその影響を論じてよいのか?という自己否定をしつつ今後の議論に発展させている。

以下、このセクションで述べられているポイントを整理するとこのようになる。

  1. キリスト教的な人間中心主義:
    キリスト教の信仰は、聖書に基づいて人間をこの世界の中心とみなしている。これは創世記に記された神による人間の創造から始まっている。人間は神に似た存在として創造され、他の被造物と本質的に異なり、それらを支配する存在だとされている。。
  2. 人間の特別性:
    キリスト教では人間を特別視し、神の似姿であると捉えられている。人間はこの世界の中心であり、他の生物を支配する者とされ、環境や他の生物は人間のために存在する手段と考えられていることが述べられている。
  3. カントの影響:
    キリスト教の人間中心主義は、哲学者カントの思考に影響を与えた。カントは人間を目的と捉えたが、動物や環境を手段とする考え方と矛盾している。これはキリスト教の影響を示していると著者は述べている。
  4. 環境破壊と搾取:
    キリスト教の人間中心主義は、動物の搾取や環境の破壊を正当化する要因となる。環境は人間のために存在するとの信念から、環境への無制約な介入が行われた。
  5. 産業革命以降の影響:
    人間は、産業革命と文明の発展により、大規模な自然環境への介入が可能になり、環境破壊が進行した。
  6. 疑問と考察:
    著者は、キリスト教が環境破壊を促進したのか、キリスト教が単純な教義に帰結するものではないかと疑問を投げかけている。これについて詳細な調査と検討が必要であると述べている。

聖書は本当に人間中心主義を説いているのか

結論として、ここでは聖書の解釈についての複雑さと多様性が強調されている。キリスト教の信仰や聖書の文言は一般的には人間中心主義につながるとされているが、異なる視点や解釈も存在し、歴史的背景が解釈の形成に影響を与えた可能性を示唆している。

ここでは、「聖書は本当に人間中心主義を説いているか」というテーマで、聖書の解釈に関する複雑な問題を考察されている。要点は以下に整理した。

  1. キリスト教の人間中心主義:
    キリスト教の一般的な解釈では、聖書の創世記にある人間の特別視が根底にあるとされている。これにより人間はこの世界の支配者であり、他の生物は人間が利用のために存在すると考えられている。
  2. 聖書の創世記の一節:
    創世記の一部分が引用され、人間に草と実を食べるように命じられている箇所が紹介されている。これが聖書の人間中心主義の根拠の一つとしている。
  3. 複雑な解釈:
    上記の「草と実を食べるように命じている」という部分には疑問が呈されている。なぜ神が肉を食べないように命じたか、そしてなぜ肉食を制約する要件が示されたのか、という問いが提起されている。
  4. リンゼイの解釈:
    アンドリュー・リンゼイなどの一部の研究者は、聖書を異なる視点から解釈し、人間は肉食を許されているが、それを神への責任を持ちながら行うべきだと主張している。
  5. 聖書の曖昧さ:
    聖書は解釈の余地を残す曖昧さを持っており、人間中心主義だけでなく、環境保護や動物の権利を支持する解釈も可能としている。
  6. 歴史的背景:
    文中では、なぜ人間中心主義の解釈が一般的になったのかについて、歴史的な要因が影響している可能性を示唆している。

読んでいて、話の流れというは主旨はある程度理解できたという面もあるのだが、確か本の最初の方に、「ダイバーシティを認める流れの中で動物への権利も認める」的な話があったと記憶している。一方で、ここまでの話は、この世の中はキリスト教を背景とした人々が人類の歴史の中心を担ってきて、それらに恩恵を受ける形で私達も生きてきた。その文明を担ってきた人々がそう考えるのであれば、それを無視することは出来ないといったような内容の部分もある。そうなってくると、キリスト教とは関係のない私を含めた大部分に日本人にとっては、このような動物倫理に関するキリスト教を背景とした論理そのものを気にしないという権利も認められてしかるべきだと思うのだが、どうやらそういう話にはならないようで、いまいち納得できない面もある。どこまで行って難しい話なのだなぁと改めて感じる次第だ。

キリスト教と環境破壊

このセクションは、キリスト教と環境破壊の関係を歴史的・哲学的な視点から考察し、特に環境問題の解決には生活様式の変革が必要であると述べられている。

  1. 歴史的背景と提唱者の紹介:
    • 聖書の解釈において、人間を特権的な存在と位置づけるキリスト教と環境破壊が歴史的に関連している。
    • リン=タウンゼンド=ホワイト・ジュニアが1967年に発表した「我々のエコロジー的危機の歴史的諸起源」は、キリスト教神学と環境問題の関係を提起し、環境倫理学の古典となった。
  2. キリスト教の人間中心主義と環境破壊:
    • ホワイトはキリスト教を人間中心主義的な宗教と考え、その教えが環境への搾取的態度を助長したと論じ、キリスト教的な価値観が科学と技術の進展を通じて自然の無制限な搾取を可能にしたと主張した。
  3. ホワイトの考え:
    • ホワイトは環境問題解決には新たな宗教が必要だと述べている一方で、当時西洋の若者の間で流行っていた東洋的な禅やヒンドゥー教は西洋社会には適さないと考えた。
    • 著書の中で、キリスト教内の主流的な教えと聖フランチェスコの教えは、異なるものであった点に注目をしている。聖フランチェスコ氏の教えは、自然への尊重や動物への愛情が強調されていた。
  4. 環境破壊の起源とキリスト教の選択:
    • 著書では現在の環境破壊は、キリスト教徒が聖フランチェスコの教えに従わなかったことが原因だとする仮説に対して疑問を投げかけている。
    • フランチェスコの教えは一部の異端的なものとされつつも、彼自体はキリスト教の正統派であり、環境問題に対する異なるアプローチを提供した。
  5. 環境問題と生活様式:
    • 著者の考察は、環境破壊が行われその原因となった宗教が歴史的な偶然で選ばれたという考え方ではなく、環境破壊的な生活様式がもとより存在し、その生活様式を正当化のために宗教が利用されたと主張。
    • キリスト教自体が環境破壊をもたらしたのではなく、生活様式が先行し、宗教がその正当化手段として使われたという見解を述べている。
  6. イデオロギーと生活の相互作用:
    • 生活様式が意識を規定するという立場を支持し、宗教があくまでその正当化や反映の一部であると主張。
    • イデオロギー的な逆転を批判し、生活が意識を形成する現実的なプロセスを強調。

人間中心主義の両義性

このセクションでは人間中心主義が持つ両義性に焦点を当て、規範的な価値概念としての否定と、事実概念としての認識から導かれる適切な規範について論じている。他方で、事実概念から導き出される「適切な規範」が情緒的アプローチのように諭すような感じになっているのは、どう受け取ればよいのか難しかった。べき論を語ったところで、多くの場合は人間は自分の人生の経験やそこから積み上げてきた現在地からしか世界に干渉はできないから、この手のトピックを金持ちの道楽的な話と受け取る人が一定数いるのだろうと思う。世の中の大半の人達は自分の人生や生活に精一杯(と思っている)はずなので、そこにやれ動物の倫理だ、動物の権利だと言われても声そのものが聞こえていない可能性もあると考えると、このような話を一般の人々に浸透させるのは極めて難しいのだろうなと改めて感じた次第だ。

  1. キリスト教に由来する人間中心主義の起源:
    • 前のセクションで述べられていた点の繰り返し。人間中心主義はキリスト教から派生したものではなく、人間が自然や動物を支配したいという欲望のイデオロギー的な投影である。
  2. 環境破壊と人間中心主義の関連:
    • 人間中心主義が環境破壊的な生活様式のイデオロギーであるならば、その克服には非破壊的な生活様式の確立が必要であり、これは大規模な経済秩序の変革を含む壮大な課題となる。
  3. 人間主義と人間中心主義の違い:
    • 人間中心主義は人間主義とは異なり、アントロポセントリズム(人間を中心とし、他のものを周縁化して価値を低く見積もる思想)として定義されている。他方で、人間主義はヒューマニズム(人間にとって人間こそが目的であるとか、人間は人間的であるべきだと言う考えで、人間性を一般的に重視し、その価値を高めていこうという思想)。
  4. 人間中心主義の両義性:
    • 人間中心主義は規範的な価値概念としては不当。そうではあるが、事実としては人間が地球上の中心的なアクターであることを指し示す記述的概念とも考えられる。
    • 事実概念としての人間中心主義から導かれる規範は、環境に対する責任を認識し、謙虚で非人間中心的な態度を取るべきだ、というものになる。
  5. 人間中心的価値判断の否定:
    • 人間は地球上の中心的な存在であるという事実を認識した上で、それに伴う責任を果たすために謙虚で非人間中心的な価値判断が求められる。環境への配慮も、この規範の一環だとしている。
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