竹は上部は上に育ち、下部は横に育つ
2022年12月7日(水)晴れ。今日もいつもの西側攻略。まずは手始めに、いつもは写真を撮らない上側を写してみよう。
「まぁずいぶん立派に成長されて!」と一言いいたくなるような成長っぷりである。
ここまで大きくなったのに申し訳ないが伐採出来る範囲は全部伐採致させていただくつもりだが、そもそも竹の生命力は驚異的で重機を使って地面を広く掘り返しでもしない限り殲滅するのは難しいのではないだろうか?
現に最初の頃に切った竹の周辺には再生竹のような芽が伸びているようにもみえる。そんな短期間で生えてくるものなのかは定かではないが、いずれにしても強い生命力を持っているのは間違いない。
だから何もしないというのは問題を大きくするだけなので、体力とバッテリーが続く限り作業をする日々を送るしかないのだ。
庭のスペースに仕分けした竹を積み上げ、仕分けしたものはビニールテープで縛り、縛った竹は軒下に積む。そう、これはもうある種のルーティンのようなものなのだ。そろそろ庭の上に何も無くなって見通しが良くなっても、軒下にビニールテープで束ねた竹が無くなっても何も心は動かなくなった。どうやら「おー!綺麗になった!」というやる気スイッチを失ってしまったようである。
疑っている人などいないと信じたいが、下の写真は決して画像を使い回しているわけではない。
このは景色と、庭の上に何もない景色を何十回と往復しているだけだ。それでもただひたすらこの作業に向き合う理由はその先にある動物保護シェルターの活動の必要性を感じているし、またそれらが本業の動物病院向けビジネスに付加価値を与えてくれると考えているからだ。
もちろんそこに動物愛護の精神が欠如しているわけではないが、愛護精神が先行する形での例えば「殺処分0を目指す」といった部分を本質的な理解や方法論なしに理念として掲げていいとは思っていないだけだ。
保護犬や保護猫一匹の里親を見つけることは一つの出会いの奇跡を生み出す必要がある。それ一つ一つの出会いが一期一会だ。だが、その一つ一つの奇跡を積み上げた100回の出会いの努力を、無責任な一つの多頭飼育崩壊が無に返してしまうのもまた事実。高齢者が飼育しているペットも潜在的な保護対象として認識をしていく必要もあり、解決していかなければいけない問題は多岐にわたる。
私は、その全てを解決できるとは思っていないが何か一つくらいは解決する事ができる可能性は見出せるかもしれないと考えているし、それを早く模索するための一つの手段としてシェルター作りをしている。
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